人生は哲学だ~凡人の生き様日記~

啓蒙思想家に憧れ。理想は新渡戸稲造。 レオナルド・ダ・ヴィンチよりも多趣味だと思いたい。学問的、哲学的、時にアニメとか映画、んで個人的な雑記で、理想は酒でも呑みながらある種の娯楽として楽しめるものになればといいな的ブログ

本はとにかく短篇集がいい!【幻想文学に浸る】

僕の中で文学は最も短篇集で生きてきたと言っても過言ではないだろうと思います。

学校の朝読書で、読む気もないのに読まなきゃいけなくて、本が当時嫌いだった僕にとってこの時間は本当に辛かった。

(読まないと怒られる。意味がわからん。)

そう思ってました。

今思えば、朝読書の時間と、無理矢理読まそうとした先生には感謝しなければならない。

少なくとも、その時の無理やりがきっかけになったのかもしれない。

学校は無意識に訴えかけるのであった。
そして学校は之をねらいとするべきでもあるな。と思わざるを得ない。


要はハリー・ポッターなんて僕には読めないですからねぇ。
昔から長い小説なんて読めやしないのだからハリー・ポッターなんて僕には猫に小判。
てか、あれ漬物石になるやろ。と

中学時代は教室にある本を適当にとって読んだふりしてたので、あまり読んでなかったのが多いです。

そとそも短篇集でも読んでみるかとなったのが高校生の頃。
親から昼飯代を毎日もらってたけどほとんど食べずにブックオフのCDと本屋で音楽雑誌など買ってた。いやぁ懐かしい。

その高校でも朝読書があったから、なんとかあの暇な時間をうまく過ごす方法はなかろうかと思ってた矢先。そもそも僕は飽きっぽい人間だと自覚していたから、そうか。短篇集ならいける。しかも一冊でいくつもの話があるのは得じゃないか。ということで星新一をたまたま触ったのがきっかけ。

実は、星新一のドラマを夜中に見てたのが本当のきっかけ。
特番だったかな、NHKでやってたのを見てた。

一瞬で惚れた。

お陰で短篇集マニアになって、日本で言うなら幻想文学という位置づけに近い作品を自然と読み漁っていた。

幻想文学の枠組みは人それぞれで、ちゃんとした定義はないのだが、星新一はSFに近い。
でも、僕の中では幻想文学

ここで僕の幻想文学の言葉の定義をしたい。
○睡眠時に見る夢の内容のようである
○比較的短い話である
シュルレアリスムの体型に近い内容である
○登場人物が極力匿名である(既出なものを除く)

ざっとこのような感じ。
【夢を見ているものに近い感覚】を感じるものが僕の中での幻想文学の位置づけになる。

異論は認めん。

登場人物が基本的に匿名っていうのも重要なのかなと思います。
夢を見るときは基本自分が夢の主人公であるかと思いますけどね、幻想文学に於いてこれは 必ずしも位置づけしないほうが良い。ということであります。
ほかに、登場人物には神様、仏様など、歴史上の人物を
モチーフにしたものがある(芥川龍之介、蜘蛛の糸の釈迦など)場合もその限りでない。

幻想文学の中にはあるファンタジー要素もSF要素も、そして基本的な文学には固有名詞を持つ。
主人公に名前があって、時の流れもたしかにある。

しかし僕の幻想文学の位置づけにはそれをあまり許容しない。
とは言ったもののものには何でも例外がつきものである。
その辺の緩さは許してくだせぇ。

星新一ならばお馴染みのN氏、F氏などは必ずしも固定でなく、読者に委ねられる。つまり主人公においては固有名詞はなく、匿名性を持つ。

そして、短篇であること。これ、大事。
人間が夢を見た時の感覚に近い。
それでいて断片的で長くないこと。

最後はシュルレアリスムの体型に近いというのは半ば言い訳みたいなもので、極力現実的でありながら何か別のものが混ざってくるようなもの。
言うなれば【記憶の混沌】のようなものであるといえばわかりやすいだろうか。

体系的には人間が夢を見るプロセスに近い。
【現実的でありながら、短く、断片的で、記憶の混沌による、ある事象とある事象とが混ざり合って現在過去未来が混同している様】

これが僕の中にある幻想文学の定義です。

話が長くなりましたけど、だから星新一はSFだけど幻想文学です。僕の中ではね。

さて、どうせなので星新一の話の中で好きな話を一個だけ挙げようかなと思います。

【鍵】
↑これです。
ひょんなことから鍵を拾う男。
一風変わった鍵で一体なんの鍵穴なのか気になってしまって、様々なところの入りそうな鍵穴を見つけては回すが手応えがなく―

といった話です。
結末は新潮文庫の「妄想銀行」にあります。
ほかに「古風な愛」も良い。
ぜひ、読んでみてくださいな。

おすすめだらけ過ぎておすすめできん。
てのが本音。
短いからこそ記憶に残る。
これが醍醐味。


幻想文学の、定義にややそぐわないかもしれないが、僕はエドガー・アラン・ポーの「黒猫」をおすすめしたい。

現実か非現実かの区別が曖昧な感じで、恐ろしくも奇妙でどこか爽快な黒猫と男のトラジェディです。

エドガー・アラン・ポーもこういうの書くんだなーと思って感動。
長い話は伏線を張って、時間をかけて結末まで持っていくことができるけど、短篇って、そういうのが高度になるだろうと思いますけど、ちゃんとオチを持つのは非常に天晴。

短篇はこれだからやめられん。

夏目漱石の「夢十夜
これは僕の根底にある幻想文学の始まり。
星新一よりも前、中学時代に惚れた作品。
もともと幻想文学を好む傾向はこの時からあったようです。国語の教科書を何回も読んでました。

星新一を買って、読んでから短篇に火がつき、本として、夢十夜を購入しました。

うん。
なんだかんだこれが一番好き。
一夜が一番好き。
で三夜も同じくらいこれまたスゴイっす。
当時の日本の言葉の素晴らしさに改めて圧巻。
三夜は恐ろしいながら心に訴えかけるものがあってすごい。

あと運慶がでてくる話もすごい。
何夜だったかね。
文学の良い所って、読み手の自由な解釈も許されながらも、著者の皮肉など風刺もあり、、、いやぁーすごい。夏目漱石先生。


芥川龍之介の「蜘蛛の糸」
これは幻想文学なのか?←
僕はこれも一応その手の中に入れられるかもしれない。

この話もまたいい。
有名なので知らない人は少ないはず。
国語にも載ってるよね。
でもこれにハマったのは少しあと。
短篇を探しているうちに思い出して読んだら案の定面白い。でもちろん幻想文学コレクションとして購入。

やっぱ王道の作家の文体には我々に刺さるものを持っています。
短編からでも十分伝わります。
否、短篇故。か。


すこし長い作品で、例外もありますが、カフカの「変身」もやはり外せん。
(僕はフランス語版もある; La Métamorphose)

できるなら文学はまず原本で読みたいのが本音。
カフカはドイツだが僕は読めん!
もちろん名訳もありますからできるなら何種類も笑

幻想文学は作品の特徴故解釈に人の個性が大きくでるかと思います。多くの人の個人個人による考察、解釈があればあるほど「古典化」すると言いますか。短編で作品数も多い故いわば無限の解釈が許されるのである。
まとめれば何百倍も楽しめる素晴らしいジャンルになるわけです。

できるなら文学部に幻想文学をまとめたものを作りたい。