人生は哲学だ~凡人の生き様日記~

啓蒙思想家に憧れ。理想は新渡戸稲造。 レオナルド・ダ・ヴィンチよりも多趣味だと思いたい。学問的、哲学的、時にアニメとか映画、んで個人的な雑記で、理想は酒でも呑みながらある種の娯楽として楽しめるものになればといいな的ブログ

団結するだけで満足して終わるのは革命にならない

タイトルだけで察しますかね。

時代だったか文明だったかは忘れましたけども、某は衣服のように着替えるような儚いものだとかを見たか聞いたかしましたが、僕は大いに頷きました記憶があります。

今こうしてその言葉を思い出したのも、ふとしたきっかけがあったわけでもなく、此処暫くの間心の中で煮込まれてたものが泡を吹き始めたようなものであります。

故に何時これを書き綴っても可笑しくないと言う事です。


僕の中には、時代は常に革命あってして改革するものだと思っております。

革命というのは、何か悪い予感のする事態や、文字通り悪い時代を変えようと、否、変えなければならないと悟ることをきっかけに、意見を共にする人々が一致団結し、大きな運動をする。そういうものだと僕は考えています。
して、一致団結する人々はマイノリティ、つまり少数派によるものであると思われます。

そもそも、僕が何を言いたいのかと言いますと、今では落ち着いてきた(?)安保法案の可決に向かおうとする最中の反対派によるデモなどの運動による反対派の団結力について思うことがあるからであります。

思う事というのは、タイトルの通りでございまして、マイノリティがマジョリティに勝る、まさに革命をしようと奮起した若者達の脆さ、と言うと語弊がありますが、を感じたもので、此れはある意味では、今という時代の反映の結果のように思われます。

僕はそもそも、安保法案については、決まった事は真摯に受け止めているのでこれ以上何かを言うつもりはありません。
そして本題はそこではないのでこの手の話は置いておきます。

さて、結局のところ白状すると、若者達による一連の運動は【祭レベル】であったと。客観的に見ている人から言うとそのように思います。

一致団結する、その気持ちと行動力は僕も大いに尊敬に値しますし、嫉妬すら感じてしまう程のものでありました。
なにか革命が起こるかもしれないと思った瞬間でもあります。
暫しの運動については述べるまでもなく、自然な流れであったと思います。

問題はそちらではなく、可決に向かおうとする最中、まさにタイトルの通り、壁の向こう側で最低限の安全を足元において主張するのみだったということ。
此れほど滑稽で且つある種の無念さを感じたのは言うまでもない。

私より二まわり程度の人と一夜、そのことについて話すと、同意見であった。

少しの守りを感じた、との事であります。


あれほどまでに多く人が集まったにも関わらず、何故反対の陣に入り込まなかったのか。

かつての学生運動のようにとは毛頭言うつもりはない。
しかし、自分らのために捨て身になろうとする程の気持ちの強さを感じたのは確かであります。

今回のような運動には気持ちの強さを感じることが私に少なくとも無かったことであります。

僕は、何かを変えたいときにはそれじゃいけない。そのように思います。
何事も捨て身に近い程の確固たる意思を貫こうとする事も時には重要になる。とそのように思います。

今の時代が垣間見れたような気もするのはそういうことです。

革命を起こそうと奮起するまで良く。
団結した時には満足して最早単なる同意見者との歓びを叫んでるようにしか感じなかった。

これは単なる一人の戯言ですから、変に受け取らないで、そういう考えを持つ人も居るのだな。と思っていただけるだけで済ましてほしいと思います。

僕自身も、誰が悪いだの、莫迦だの阿呆などと言っている訳ではなく、いろんな感情があるうちの一つを綴ったに過ぎません。

今回は、一致団結から革命を起こそうとするのに何が有力なのか、そして、何が正しい動きなのか、また、意見が割れた場合にどう人々を動かしていくのが良いか、という事についてあらゆる方面で物事を捉えたいがためにこの運動を例に取った訳であります。

僕自身学んだことが多々あります。
いろんな事をあらゆる面で、そして、反対の意見の方にも冷静に見て考える時間を設けるのは今の時代を生きる上での大きな資本として蓄えられると言えるのではないかと思います。