人生は哲学だ~凡人の生き様日記~

啓蒙思想家に憧れ。理想は新渡戸稲造。 レオナルド・ダ・ヴィンチよりも多趣味だと思いたい。学問的、哲学的、時にアニメとか映画、んで個人的な雑記で、理想は酒でも呑みながらある種の娯楽として楽しめるものになればといいな的ブログ

文学のパンク〜【自動記述】というぶっこわれ様式〜

自動記述という様式を知っているだろうか。

僕がこの存在を知ったのはそんなに昔のことではないのだけれど、冷静に考えてみるとこの様式は最早【ぶっこわれ】だろう。

自動記述とは何か、についてまず以下に述べておこう。

自動記述(オートマティスム)は、あらかじめ何も予定せず、先入観を捨て去り文章を書き付けるという、主に文学の表現方法で、シュルレアリスム宣言の中に示されているシュルレアリスムの定義に即したものと言えるだろう

(Wikipedia, 「アンドレ・ブルトン; 自動記述について」)


一般の人の解釈を僕がここで代弁するならばこうだ。

「何も予定せずに書くということは、物語の構成も何もかも考えないということだよね?」


―そういうことです。



例えば、著者が寝ている時の口述だったり、兎に角高速で筆を進めるなど、、、


僕が咀嚼したもの―恐らく他の人も同様だと思う―を表すならば恐らくこうだろう。

【無意識下で行われる記述に現われる個人の(つまり著者の)美徳や純粋な感情、時に固定概念から逸脱した中に本来なら現れない表現などがでてくる点において文学ならではの表現を求めた主義、思想である】

人は意識すればするほど、物事がスムーズに行かない。
そんな経験はきっと誰にでもあるだろう。

バイトで食器を洗っていたとするならば、その食器の価値がわからなければ、恐らく早々と洗い、棚に戻す作業までも早々に行うだろうが、その食器が―見た目からは想像もつかない―非常に高価で決して割ってはいけないと言われたらどうだろう。
手は震えるかもしれないだろうし、動作もスムーズには行かない。

書類の手続きなんかもそうだろう。
意識すればするほど文字が歪んで見えるだろうし、誤字、脱字もあり得る。

また、無意識だからこそ現れる美徳が見えてくるのであろう。
そこに美を見出した文学家がアンドレ・ブルトンである。


自動記述とはいえど、全てが本当にバラバラなのかというとどうも決してそうではない。

1つのグラスを割れた欠片を不規則に並べたようなものに近い。

不思議と何かが点と点で結ばれているのだ。

それは何十年かぶりに会う同胞のようなそんなちょっとした面白さやら感動やら良くも悪くも分からない混沌とした情景が浮かぶのだ。


この文学様式の面白さはそこにある。

この自動記述(オートマティズム)がつまり【シュールレアリスム】の始まりであり、先に挙げたアンドレ・ブルトンこそシュールレアリズムの父と呼ばれている。

シュールレアリスムは今でこそ日本では「シュール」という言葉―厳密な意味では多少異なるが―は普通に使われている。

言葉というのは時代が進むにつれ意味が広く解釈されていくから、このシュールレアリスムも多くの意味を持ち始めてもう随分時が経つ。

文学のパンク的立場のオートマティズムの様式は随分数が少なくなっているようであるが、僕はシュールレアリスムを通して人生の価値を見いだせるものと信じている。

自分なりにまとめながらその世界観にせめて仕事の息抜きにでもどっぷり浸かっていたいというかんじです。

興味があれば、アンドレ・ブルトンの「ナジャ」と「シュールレアリスム宣言/溶ける魚」をおすすめしたい。どちらも岩波文庫であります。