やりたいことはあるけれどそれを結局どうしたいのだろう
人生の妥協点に留まることに僕は納得がいかない。
というより、やりたくないことをやりたくないだけ。
やりたいこと。
そもそもやりたいことって言っても数種類に分類できるんじゃないかな。
今思いつくとしたら僕は以下の3つに分類できる。
- 趣味の範囲(自宅内)でやれること
- Institutionを必要とすること
- 現実的にやれないこと(夢想に近い)
趣味の範囲(自宅内)でやれることにも枝分かれで細かく分類できそうだけど、ややこしくなるから説明だけに留めておこう。
例えば作家なんかになりたい人とかはこれ、
バイトしながら夢を信じてあちこちに応募するタイプ。
他には小物を売る人。
芸術家。音楽系。などなど
つまり作品を売りたい人、作りたいだけの人がこれかな。
次にInstitutionを必要とするもの。
主に研究職、資格が必要とされるものがこれかなと。
これは、結構大変。
例えば大学院とかに行きたいと考えてるなら、
それは【〜になりたい】という通過点では正直行かなくていいと思う。
つまり、上に挙げた趣味の範囲に格下げできる。
大学院は専門の専門。
大学じゃないからむしろ【何を研究したいのか】そして【研究したいことができる環境か】というのが重要。
他に当てはまるのは資格取りたい人。
科目等履修生とか、ユーキャンとか、講座やらなんやらを通して、なりたい自分の為の『通過点』としてやりたいこと。
多分大学(短期、専門)もこれに近い。
大学院だけすこし別になりそうです。
最後は現実的にやれないこと。
単なる空想もあれば、今更その道に行く余裕がない人。生き方を間違えたー。とかやり直してぇー。というのも入る。
なんというか、現実にやれないことは空想と言ったけれども、実はこの手の人は工夫が足りないのかもしれない。
例えば政治家になりたいけど、、、みたいな人は、日本の地方で知事からやろうと考えて無いかもしれない。
身体的に叶えられない人も居るかもしれない。
ただ、可能性は本当にゼロか?
親友に託す方法。
知り合いの知り合いにアポを取る。
自分でアイディアをひねる。そして専門的な人にメールをするくらいの熱望。
僕は本当にやりたいことと言うのは一人じゃできない。
だから友人を使うとか、恩師に連絡するとか、そういう「他人に迷惑かけちゃおうぜ」的な精神が必要だと思う。
それが出来ないとか、忙しそうだし、悪いし、、、とか言ってしまうのならやりたいことじゃないんじゃないのかなと。
悪く言えば楽したいだけ。
甘え。
僕は人生そんな思いをしたくない。
やりたいことっていうのは自分勝手なのだ。
だからそのための手段は
【自分に出来るだけの自信があるか】
これだけだと思う。
本当に自信があって、それに関してやりたいならば履歴書なんていらない。
まずは知り合いなり、機関にメールしてみるとか恩師を伝うとかそれくらいやらにゃなと思う。
趣味の範囲でやりたいことには含まれないけど、最終的にはそれも発表する機会が必要になったら場所も人も必要だから同じかもしれない。
頭が良いから何とかなるのか?
頭の悪い上司(自分より学力の低い)の下につきたくないと、たまに聞くけれども、1、2年我慢して下剋上してやろうと思わないのだろうか。
僕の性格がそうさせているのかもしれないけれど。
本当に頭が良いなら当然五年かからないで偉い地位に立てるんじゃないかな。
そしたら少しずつ自分の環境を自分なりに変えられるんじゃないか。
僕はそういう風に思う。
結局プライドが高いのはいいことだけれど現実突きつけられたら一発で傷心するのが主なんだろうな。
これは恥ずかしながら全部自分自身に言っているのだ。
こうして記しておく事が僕にとって一番の助けになるのかもしれない。