善より『悪』に生きる術を学ぶ事が多い
きっとみなさんの頭の中には、善の自分と悪の自分が表裏一体になっていて、時に分裂しては『私自身』を惑わすことだろうと思います。
テレビでもアニメとかドラマとかで天使と悪魔の風貌の自分が頭の中でいざこざしてるのを見たことがあるかと思いますけど、まぁそういうことです。
この天使と悪魔、まず自分が良い悪い関係なしに、どっちに魅力を感じるかと言うことから話しておきましょう。
僕は昔よくロックマンエグゼを兎に角やってたんですけど、かつて、闇のチップなるものがあったの知ってますか。
使うと、強いけどHP削られ続けるし、一定使いすぎると闇ロックマンみたいな感じになるやつ。
もうあんまり覚えてないので実際こんなんだったかはわからないので話がすこし矛盾してたらごめんなさい。
とりあえず、そういうのがあったわけなんですけど、僕はそういうのはたいてい闇に行きますね。
他にも、テイルズオブシンフォニアをやっていた時に、闇の武器をひたすら集めては、使いまくって大喜びしてました。
昔からこういう類で他にはバグっちゃうキャラとかすごく好きだったんですよね。
銀魂だと神楽ちゃん。
ソウルイーターだとマカ。
とまぁそんな感じで。
要は、ダークな自分を持つ特性に昔から惚れ込んでいたということですね。
おかげで今も、違う切り口ですけど、
お酒はなんとなくアブサンに惚れ込んだり、
映画も悪役に興味を持っちゃったり。
例えばターミネーターの2の名適役。
007のル・シッフルとか。
単純にダークナイトのジョーカーとかも好きっす。
今ではそこから派生して。
悪がいなければ正義も生まれなければ教訓も生まれない。ということです。
悪い人が絶対的な悪なのはわかりますが、
それだけで線引きしては何も生まれないわけです。
もちろん線引きしてもいい場合もあるけど、
悪人には頭脳明晰なパターンが多々あります。
そこから何か術をもらっていい方向に持ってけば得するじゃないですか。
例えば政治にも悪人のような人も確かに存在していましたが、必ずそこには強みもあるということです。
悪人だから嫌い。そう言って名誉ある人ばかり見るのではなくて、むしろ今まで歴史を大きく動かすのには多かれ少なかれ悪の台頭があったのも確かです。
することなす事に良いことはありませんが、考え方を変えればそこまで出来る動機。何がそこまで奮い立たせたのか。そのために何をしたか。
そういうのは人間学ばないといけないのではないか。と思うわけです。
もちろん自分が悪に行くことはしてはなりませんが、悪を知る事がもしかしたら一番効率がいいのかもしれない。
それが僕の持論だったりします。