英語教育推進に対する懸念
文部科学省が英語教育の強化を図り、中学校では英語の授業時間は割りと前から、週3回から4回に変わりましたが、今までの僕の解釈では、英語が浸透していく世の中で、学校の英語教育がより助長されて良かったなぁと思ってました。
僕は国際関係と教育課程を終えているのでその手の話は当然喜びに近い感情でした。
でも、ふと周りの学生がカフェとかファミレスとか電車内で勉強している様子を見ててすごく気がかりなことに気づいたわけです。
【外で学習する生徒は外国語しかやってねぇ】
これです。
もちろん見た人全員ではありませんが、あくまで僕が見えた学生さんは高確率で英語なわけです。
僕は「これでいいのか、、、?」と思いました。
何を一番心配しているのかは、英語の授業数の増加に伴う国際化推奨の流れが思いの外強すぎる。ということです。
僕は保守派ではない方だと思いますが、それでも日本の学校教育という点で、
国語の時間が英語よりも少ないことと、
理系科目を恐らく算数とな理科が苦手なイメージから全体的に授業数を増加しちゃえ的な考えと、
国際化が進んでるから授業数増やそう。
みたいなものが見え隠れしていてどうも腑に落ちない気持ちであります。
国際化が進むとはいえ英会話が主体じゃない現地の国語のような英語の授業スタイルではどうもバランスが悪い。
高校の英語授業に未だに中学校の復習をするという甘えが僕には気に食わない。
高校に入ってすぐに中学校かんたんな復習から入るってなんか違和感なんですよ。
優しすぎるというかなんというか、、
生徒もそれをなんとなく知っていることもあって、「やり直しがきく」と思っている節がありますし、学習教材なんかの決まり文句は基本的に「高校からやり直せる」みたいなことが書いてある。
欧米的に伸びる人が伸びるスタイルにしたほうがよっぽど生徒のため。
飛び級の制度がない点でもちろんメリットはあるんですけど、できる人は結局三年生になるまでゆるゆる進む授業に飽き飽きしてるだろうし、このまま生きて行く結果ビジネスの世界においてできる若者に対し、
「若者が調子に乗るな」
的な風潮になる。要は古い考え。
年功序列。年下の能力を根拠なく批判する風潮。
でも学校は教授法とかに関しても「競争させる」みたいなこと言ってますけど、
本当に競争させたいならできる人が出来ない人に教えてしまうスタイルはダメ。
挙句わからない生徒はできる生徒にすぐ聞いて答えだけ書いちゃう事が圧倒的。
これは別の方法を採用すべし。と思う。
教えることが理解、記憶の強化に結びつくので悪いことではないのですが、できる生徒はできるやり方、つまり自分にあったやり方で学習ができているからあまり必要ないのではないかな。
とにかく授業時間増やすのが相対的にその科目の能力が上がるとは言い切れないということ。
半ば強制的で息の詰まる生活になるのではないか。
生徒がいかに自分の意思で教科書を読むか。
参考書を読もうとするか。がとにかく重要。
受け身で「やらされている」と思ってるうちは良い方向に行きませんね。
僕はその点をより良くしたいと思ってます。
そのための勉強はまだまだしていきます。
他にもたくさんやりたいことはあるんだけど、、、