人生は哲学だ~凡人の生き様日記~

啓蒙思想家に憧れ。理想は新渡戸稲造。 レオナルド・ダ・ヴィンチよりも多趣味だと思いたい。学問的、哲学的、時にアニメとか映画、んで個人的な雑記で、理想は酒でも呑みながらある種の娯楽として楽しめるものになればといいな的ブログ

入門編、ベーシック...そういう本を読まないのはナンセンス

ナンセンス。

初心者の心得をずっと持ち続けることだ。

大人は子供の純粋な気持ちを忘れていく。
それと同様であり、「初心忘れるべからず」という言葉がどんなに重い言葉かを、もっと深く考えるべきだ。
前にも述べたが、当たり前のように蔓延っている言葉は、悲しいかな。深く考える機会を消す。
つまり、ありふれたものには疑問を持たなければ、考えることも特別な事情がない限りスルーだ。

空がこんなにも綺麗なのか。

こう思うことは特別な事情がない限りは基本的に考えないだろう。
それと同じように、その辺に転がる石を蹴飛ばした時にどういう仕組みなのか。
また、木の上になる林檎が落ち、空の月は落ちない、何故だ。と考える事。
こういう事柄こそ大発見の原点、つまり源なのだ。

しかし、そういう原点こそ大発見の源泉と知りながら、初心者向けの本をなんとなく拒む傾向があるように思う。

それを証明しうる出来事がある。

トマス・ピケティの【21世紀の資本】をご存じだろうか。
一時期かなり盛り上ったので知っている人は多いだろう。
本はかなり売れた

と同時に
「理解出来ない」
という理由で間も無くアウトレットと化したものも多数。

ビジネスマン、あるいはその手のものに関心がある人たちが購入したと思うのだが。
まず、何故内容を判断せず高い金を払ったのか
ということはどうでも良い。
本書は非常に素晴らしい内容であるから日本全土に関心が湧くのも頷ける。
購入者はただの流行に流されただけなのかよくわからない。

しかしこの事例こそ、資本やら、経済というもの根本を知らないで手を出した末路であると言える。
お陰で「ピケティ入門」という本が出版されたわけである。

経済学は統計的であり工学のようなものに近い。
当然の数値でも出てくる。

数値が理解できないのは中学、高校の授業カリキュラムが悪いのか、教師の魅力がないのか、説明下手なのか、それとも自分自身の怠慢の結果かは分からないが、あらゆる点に於いて基本的な要素を身に付けておくことがどんなに重要なものか、わかると思う。

数学という学問こそ、原典にあたるべき学問だと思う。

文系が数学に興味を持ち、忘れかけた記憶、感覚を取り戻そうと。そして、新たな学問への門戸として数学が必要になったとき、まず数学の基本に取り組もうと本屋なり、昔の教科書を漁ろうとするだろう。

しかし、私個人の見解であるが、数学の教科書は、深刻なくらい欠けている要素があると思う。

【原論】だ。
ギリシャの数学に対する思想が、日本には欠けている 。
遠い昔はギリシャの人々以外もそうであったらしいが、ここは日本なので、他の国の事はここでは省く。

今我々が学んでいる数学は、「過去の人間の多大なる努力の結晶」の総集編のようなものだ。
必要最低限のものしかない。
つまり、学ぶ上では必要最低限の公式が主として授業を行っているということだ。

私の学生時代全てを思い返してみても(かなり不真面目だったので危機のがしている可能性も否めないが、、、) 数学において原論について語った教員は居なかった。

恐らく授業で話す教師はそう多くはないだろう。


少々遠回りだが、私は原論の内容と証明によって、実用的な、また、実用性の非常に高い数学に対する知識、教養を身につけることができたと思う。今後もこうした取り組みを続けていくだろう。

細かい事は煩わしい気もするが、自分の関心のあるものは入門中の入門からやはりやらねばならない。
そうでないのなら慎重に書籍を選ぶべきだ。

そうしたら、ちょっと興味をもって手に取った専門紙も所詮応用だ。よりわかって嬉しい。

小説を読んでていて 、読めない漢字、表現などがあったとき、内容にそんなに差し支えない程度なら分からず飛ばして読む人もいるだろうが、少々勿体ない気もする。不自由なく読めた方が楽しい。
同様の事だろう。

~入門。はじめての~。

こういう本こそ侮るなかれ、急いでも意味はない。基本が応用の土台。当たり前なことだが心に止めておくべきだ。

語学も似ていると思わないだろうか。
文学ばかり目を通して、お堅い英語で、難解な文法でも読めた夏目漱石は海外に赴いたときどう思ったか。
全く理解できず苦しんだとのことだ。
会話は簡単な言葉で構築される。

今の時代で言えば、自分のレベルを過信してレベルの高い英語の単語集なんかやって例えば完璧にマスターしたとしよう。
非常に素晴らしい努力家だが、テストを受けてみれば当然難しい単語はしっかり分かるが、その文字を主に構築する簡単な単語のお陰で読めない。
そういうことがあっては効率が悪い気もする。

所詮専門家でなければ初心者そのもの。
専門家にも半端なものも偏った者もいるとは思うが、
無知の知】を自覚せよ。
ということだ。

車の初心者マークをカッコつけて剥がしてないか?
バカにされたくないという理由で剥がしてないか?

その愚かな考えが逆に大きな事故を引き起こす引き金になることが一生わからないのは問題ですよね。

当たり前なことをする。

私の親友のお父さんの口癖だったと思います。
聞いたのは小学生の低学年だったんじゃないかなと思います。
この歳になっても何故か忘れず覚えています。