人生は哲学だ~凡人の生き様日記~

啓蒙思想家に憧れ。理想は新渡戸稲造。 レオナルド・ダ・ヴィンチよりも多趣味だと思いたい。学問的、哲学的、時にアニメとか映画、んで個人的な雑記で、理想は酒でも呑みながらある種の娯楽として楽しめるものになればといいな的ブログ

ネタがないけど記事書いてみようかな

何かしらネタがあるから皆さんブログで綴るわけでしょ?
でもまぁ、アイドルとか芸能人とかは使命感でかなり短くとも「私、生きてますよ」みたいないわゆる【生存確認】させられてるのもたまにいないこともないですが、全くの凡人がやっぱりブログ書くときはそれなりにテーマとかなんかあるわけですよ。

でも、いま、全くネタも何もありません。
さぁ、この状況。誰かと酒を飲みに行き、そこで「ねぇ、なんか面白い話してよ」と言われた時と同じ状況です。

煮詰まると大体この手の発言があるわけです。

ここで上手に話せたらバッチリ決まりますけど、たいていあたふたして、なーんかしらける空気になりますでしょ?
普段饒舌でも、忘れた頃にこの言葉が飛んでくるわけなので当然何も準備してない状態なのでケガしますわな。

一方凡人の書く、ブログは書きたいときに書く。
自分の自由なわけです。

今回勝手に自分に使命感をいだかせて、挑戦しょうと思った次第です。
誰にメリットがあるのかわかりませんがね。

そもそも、凡人の書くブログはやっぱり題名から惹かれて見るケースと、
ブログそのもののテーマが一貫していて、読み手の趣味に合っている場合と、
筆者の文体に惹かれる、写真があれば、顔に惹かれる、などなど。
だいたいそういう理由ですよね。

僕みたいにブログテーマにジャンルが特にないタイプは大変だと思います。
きっと読み手は毎回変わっているかもしれないです。

ていうか、何故今回そんな記事を書こうと思ったのかというきっかけを説明すると。
なんとなく自分のブログアプリを起動して、(今日は特に書くことないなぁ....)と最初は思ったんですけど、脳のどこかわからないところから(何もないところから何かを考えることで自分自身を高めることができるかもしれんぞ)的な声を感じたので、(よし、ならばやってやろう)と思い、今こうして書いています。

何のためにやっているのかは正直わかりません。
ただのドMかなんかですかね。

とりあえず、準備なしで書いてます。


最初に言った「なんか面白い話してよ」とかいう発言に対して、みなさんはどう対応するんですかね。
塩梅が重要ですよね。
自分にとって面白い話だとしても、相手にとっては全く興味がない可能性があるので逆に相手を冷ましてしまう可能性もある。
でも、下手に話さない選択をすると(面白い話一つもないなんて、俺ってなんてつまらん人間なんだろう....)とか思っちゃうんですよね。
時にはなんか勝手に試合に負けた時と同じような悔しさが込み上げてきます。
そもそも、トークの枠組みでの面白い話っていうのは、相手を気遣っている結果、面白い話になっているんじゃないのかなって書いてて思いました。
相手にとって何が面白いかを考えて話す。
こうやって考えるとやっぱり、面白い人って、モテるわ。
モテモテやわ。

面白い話しろって、言われて自分にとって面白いこと話していることが僕は多いかもしれないな。。。と、ふと思いました。
性格もどちらかといえば、自己中心的な方なだと思います。

先に話した、【相手にとって面白い話ができる人はモテる】は、ある意味心理学的な観点から研究したら面白いのではないでしょうか。(もうされている??)
言い換えれば
【相手にとって面白い話ができる人というのは他者思い】とも言えます。
僕に当てはめればこうなる。
【相手にとって面白い話ができない(自分だけが盛り上がってしまうパターンも含む)人は自己中心的な傾向あり】とも言えるのではないでしょうか。

出典も、なにもない上に、書いてる途中で思いついただけなので当然信憑性ゼロですが、もしかすると、当てはまる傾向があるのかもしれませんよ。

ちなみにこれは、
一対一の制限のないトークの状態で。
という仮定で話を進めました。

お笑い芸人が、面白いから人思いとかでは決してありませんよ。

また、決して話が面白くないから自己中。と断定しているわけではありません。

でもいませんか?
例えば上司が部下に、何か話すときに上司の中でわかっている言葉だけど、部下にとっては聞き馴染みがない言葉を結構使う人。

僕が嫌いなケースは、専門用語をよく使う人。横文字をやたら使う人です。
どちらも、ちゃんと後で解説する状況があればいいんですけど、話す相手を考えてないよねー。って思います。んで、僕はそういう人はあまり好きじゃないです。

話す人が変わる状況であれば、人を選んで話し方を変えてもらいたいものです。

場合によっては政治もありますかね。
国民に訴えるときは、抽象度の高い言葉を使って何となく誤魔化せそうな話し方じゃなく。少し、聞き手のニーズに合わせてもらえるといいのではないかと思います。

18歳が投票権を持つ時代になった暁には、ぜひその点配慮した演説をしてもらいたいものですね。

若いから難しい言葉はわからない。ということじゃなく、【訴えたい時はポピュラーな言葉を選ぶ】というのが大事です。


話の内容によっては抽象度を高めたほうがいいケースもありますけどその点は話し手が考えてやればいいわけですね。

やっぱり他者について考えている人ほど上手な話し方ができるのではないでしょうか。


ネタがなくても書いていくうちに何かを発見する。
今回は何もない状況で【面白い話】を、きっかけに、話をひろげて、心理学的な発見ができました。

無から有になる。

宇宙好きな、僕にとって好きな言葉です。
考え方を変えればどこでも言える言葉ですね。

また、ネタがなくてもたまにやろうかな。