人生は哲学だ~凡人の生き様日記~

啓蒙思想家に憧れ。理想は新渡戸稲造。 レオナルド・ダ・ヴィンチよりも多趣味だと思いたい。学問的、哲学的、時にアニメとか映画、んで個人的な雑記で、理想は酒でも呑みながらある種の娯楽として楽しめるものになればといいな的ブログ

因果関係の因を把握することで、未来が変わる。

時間があったので、突拍子もない話をしようかなと。

【虫の知らせ】というものがある。
これは、虫が人間に直接何かを知らせることなんてまぁ実際にあり得ないし、むしろ少し滑稽な話だろう。
だが解釈次第では「その虫がまるで未来から来たとか、未来でも見えるのか」と考えても差し支えないだろう。
こうした表現は聞き手の解釈に委ねられる。

藪から棒だが僕は、時空を越える論、つまりタイムスリップ肯定派である。

これも解釈を変えればすでに皆は時空を越えた(とも言える)経験をもう既にしているのかもしれない。

僕は思う。
建前上僕は光より速いものが、あったとしても、物理的タイムトラベルは不可能。
出来るとするなら視覚レベルではある程度の過去の観測程度だろうと考えている。


こういう言い方をしたらどうだろうか、

結果が(予想できて且つ高確率で起こりうるだろうと)
見えたから、
そこから今の(過去の?)僕に、
情報が伝わり、(←これは「感覚」、つまり「そんな気がする」という感情。そしてこの感情こそ、あたかも自分が未来で見たようなそんな感覚。)
その結果、

(起こり得たかもしれない)【未来は変わった】のである 。

「悪い結果が見えた。それを瞬時に感覚レベルで悟り、対処した結果、予定していた未来は変わったのだ」というこの僕の言い方は解釈次第では唐突に未来から来たやつが不都合を処理して戻る話と、結果が見えない中で数多の経験論から起こりうる結果を予想、分析して事前処理するこの2つの話は、程度が違えど似て非なるものでもない。

結果は原因から行動してできた産物だ。
その時の当人の勘ってやつと、虫の知らせは一人称視点と三人称視点との違いがあるものの要は同じようなもの。「行動するやつが自ら判断する」ということにはなんも違いはないではないか。


解釈は聴き手に委ねられる事がほとんど。

というか、言葉というのは抽象的だから、便利なものであると同時に、不都合さ、不便さ、曖昧さについて考慮しなければ、

ささいな解釈のズレが原因で、
結果深刻な事態になりうる可能性だってある。

「猫」と言えば、確かに猫である。
でも、この解釈は聞き手の自由とも言える。
三毛猫で想像する人もいれば、
でかい猫、小さい猫、などなど、、

猫だから解釈がズレても見た目位だろうから問題はなさそうだが、もう少し抽象度が高くなると相手に理解させるって本当に難しくなる。

自己満足に話をするならまぁ良いのだが、

本当に人々に理解させなければいけないときに、今では当たり前にある言葉について深く考えたことがないばっかりに、理解し合えず深刻な事態になりうる。
歳の差のある人との会話は特に顕著にでるだろう。
「どうしてわかってくれないのか」
「わかり合えない、話が合わない」
とかいう人まで出てくる。

僕はそんなことを言う前に、お前は相手についてまず考えたことがあるか、と言いたい。

わからない、で片付けるな。

知ろうとせずに話すからこうなる。
相手の時代を考慮した話し方を考えろ。
若者言葉を年上に理解できるようにまず順序だてて話せ。
相手が分かっているもんだろうと、視野の狭い考え方をして、相手側を困惑させる。

僕は失礼極まりないと思う。

逆も然り、風情のある素敵な日本語だが若者には伝わらない事もある。

この言い方だと人によってはそんなのはしょうがないだろ。と思う人もいれば、細かい。ウザい。とか。

それもわかる。

ならばその前に、コミュニケーションをはかることがわかっているなら、相手の時代を、知ろうとしてほしい。

古いから、新しいから、ついていけないとか言う前に、自分でできる限りの努力をしてほしい。テレビ、新聞。近代の歴史。
それでも言葉による解釈はズレる。当たり前のことだろう。
それでも、そう努力しようとする姿勢が、今後コミュニケーションの数を増やすうちに、より良い繋がりができそうだなと思う。

僕は言葉の使い方、つまり話術がうまい人は、善人、悪人関係なく吸収したいと思う。

相手を理解させる言葉にはどんな時代的背景と
タイミングとか人格とががネックになっているのか、
何が原因でそのような結果や事態に結び付けることができるのか、という因果の関係を僕に考えることが多い。

そんなこんなで、何をテーマ、対象として、何を具体的に、何をぼかして、どこをどう理解させていきたいのか、つまり何を訴えたいのか、というのを軸に、解釈のズレなり、聞き手の自由さ加減なり、そんなこんなを自問自答しながら話をしようとしたのだが。
なんかまとまらない感じの話し方になりましたね。
【因果】関係の結【果】は、当人の都合は考慮されにくく、
その過程の原【因】の存在がかなり重要だなという自分のごちゃごゃした頭を整理するために文字にして起こしてみたかっただけです。
それとテレビを見ていて、所々ネタじゃなく。若者言葉を何食わぬ顔で使って年上を困惑させて、「知らないんですかー?」とか平気で言っているのを見たり、年上の方がスマホとかは何食わぬ顔で使っている割には「日本語が乱れていますねぇ、、、」とか、そもそも江戸、明治、大正比べたって意味が真逆になるのもあれば、かぶれのような本来の発音無視の外来語使ってみたり、、、最早跡形ない言葉のもあるというのに、、しょうがないと思いながらもなんとまぁ、、、という気持ちがあったのでそこも吐き出しました。

冒頭の時空間の移動の話に関してはその手の人と交流して色々聞きたいのが本音。

超高速粒子の存在があったとしてもどうしても僕の中では過去を観測することしかできなそう。
でも理論的にはあり得たり、技術も上がって新しいものも出来て、今までの理論覆ったー的なものとか最近顕著に増えてきてるし。

でもでも、過去を変えるとなるとやっぱり出来ないよな。矛盾だらけだよな。。。と

でもでもでも、今の時代じゃなく、もう少し先ならやはり人間の想像は必ずや具現化できてしまうのか、、、?
というもどかしい疑問はやはり自分の中で蠢いて止まらない時があるから辛いよなーと。

ま、暇だったんで書いただけですが( *・ω・)ノ